日常にある男性差別、実は女性差別より声を上げにくいのでは
昨今、「女性差別」「女性軽視」などは、ことあるごとに叫ばれるようになりました。
女性が差別意識を高くもち声を上げる人が多いのは、それだけ声を上げやすい世の中になったということもあるかもしれません。
では、男性はどうでしょうか。
「女性専用」など女性優先の施策に対して、それは男性差別だと声を上げる方がいらっしゃいますが、本当の男性差別って、そういった限定的な事象ではなくもっと日常にあるのではないでしょうか。
そこで、身近にある「男性差別」について、目を向けてみました。
日常にある男性差別
「男のくせに泣くな」
子育てをしていると、息子がなく場面は多々ありますが、最近みた海外のアニメで登場人物のこんなセリフがありました。
「泣くな!男だろ!」
・・・男が泣いて何が悪いんですかね。
女性は泣いても良くて、男性は泣きたいときに自由に泣かせてもらえないなんて、男性差別だと思います。
小さい時から泣きたい感情を抑圧され気持ちを自由に表現できないとは本当に男性は大変です。
泣きたいときは泣いていいです!
「男は強くあれ」
強く、たくましく、負けずにとにかく自分を奮い立たせなければ!社会に出て戦い続けなければいけない。男は強くなければいけない。・・・って誰が決めたの?弱くたっていいんじゃない。もうジャングルに狩りに行く時代じゃないしね。
「男なら妻子を養え」
もう、時代錯誤ですね。
一人働いて生活ちょっと荷が重すぎやしないですか?女性も働いて家計を支えてもいし、別に女性が大黒柱で、男性が家事育児に専念したっていいですし。
まだ男女の賃金格差が縮まらない現代で、男性の収入に頼るのは現実的なことかもしれませんが、ちょっと負荷高すぎるんじゃないですか。一人で家計を支えるなんてリスキー。
「男児厨房に入るべからず」
料理は女性だけの権利ではありません。男性も料理したっていいじゃない!むしろどんどんキッチン入っていいです!我が息子は0歳から台所をうろうろし、2歳から包丁を持ってますよ。6歳の今では一人でフレンチトースト作りますから。
一切料理をしなかった男性、どうなると思いますか?
退職して毎日家にいたら、妻から邪魔者扱い、挙句の果てに熟年離婚。それを逃れたとしても、もし妻に先立たれたら、自炊できないと健康管理もままならず後を追うように逝きます。
会社で働く能力以前に、一人で生活できる力をつける機会を与えられないと老後は悲惨です。どんどん厨房に入ってくださいな。
「男ならこれくらい飲めるだろ」
いやいやそれアルハラかつセクハラですから!飲めない人も飲みたくない人もいます。好きにさせて下さい。酒が飲めても飲めなくても飲まなくてもいいじゃない。
「女に立たせてもらえ」
はい?これ、だいぶ馬鹿にされてますよ!女性に立たせてもらわなければ立てませんか?自分の力で立てますよね。大丈夫です!
「男だからこれくらい仕方ない」
もはや諦められてます。特に礼儀作法に関してなど女子の方がきちんと注意してもらえますが、靴を脱ぎ散らかしても、多少乱暴な遊びをしても、まぁ男の子だからしょうがないよねって放置されることもしばしば。教わる機会が与えられないというのはちょっと不公平。
男だろうと女だろうと、やっていいことと悪いこと、変わらないです。
男の子だからと許されきちんと教えられず育ってしまったら、困るのは本人。子どものころはそれで許されていても、そのまま大人になってしまえば後が大変です。
騒がれにくい男性差別
…と、パッと思いついたものをあげてみましたが、ちょっと、後半は女性目線の恨み節みたいなものが混じってますね。ごめんなさい!
女性は日々差別や軽視を自覚し、不満をためていることが多く常にそれを意識して生活せざるを得ないので、それゆえアンテナ感度が高い。
女性がらみの話題が炎上しやすいのもその結果のひとつかも。
女性差別、女性軽視に関しては騒がれるものの、それに比べて男性差別、男性重視(悪い意味での)は、あまり騒がれませんよね。
男性のもつ既得権益ゆえ優位な立場にいると、その不利益に気づかないだけなのでしょうか。でも、本当に本人が望んだものなのでしょうか?
別にどう生きたいかは自分の意志で決めていいことなので、こうありたい(例えば強くありたいとか、パートナーを養いたいとか)とお互い望んで目指すのであればそれでいいです。
ただ、本人の意思とは無関係に、男性はこうあるべき、という社会的な重圧がのしかかって負担に感じているのであれば、どうか肩の荷を下ろしてもらいたいです。
好きに泣いて、弱みを見せていいのだと思います。
なぜこんなことを言うかというと、性差別は女性の問題と思われがちですが、実は男性差別の方が根強く、声を上げにくいのでは?と思ったからです。
今は「自分らしく」生きられているか
今は上記で述べたことも、昔に比べてはましになっているかもしれません。
上記は主に、昔、性差別が当たり前にある中で育ち、すでに大人になった男性に対して漠然と思ったことです。なんか常に無意識に肩に力が入り、気負っているように感じるから。
今子育てしながら、子ども世代にはあからさまな男女差別はないように思いますが、やはり「男の子らしく」「女の子らしく」といったジェンダーバイアスは、日常に当たり前に存在しています。
子育てをする立場で、息子にとって一番身近な大人としてどのように接していくか、また、周りの男性へどう接していくか意識をしながら‥
男女ともに、自分らしく生きやすい世の中になることを望みます。
あぁ、なんだか最後キレイにまとめやがったな自分。